感動という表現では足りない

今日は雨の中、久々に映画を観に行ってきたの。
観てきたのは『国宝』。
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固唾を呑んで観ていた
これがね、最初から最後まで固唾を呑んで観ていた感じで、なんだろう、、、いい言葉が見つからないのだけど、上映中の観客も同じ気持ちなのか、終始緊張した空気だった気がする。
俳優陣の演技はもちろん、全ての演出に妥協が感じられなくて、『国宝』という題名に負けていない迫力だった。

ところで、本物の歌舞伎を私はまだ観たことがない。
そして歌舞伎と言えば、旦那さんのお母さんを思い出すの。
お義母さんはとにかく歌舞伎が大好きな人だったのよ。
歌舞伎がテレビで放送される時は、集中して観たいので部屋を締め切って一人歌舞伎の世界に没頭していたっけ。
話しかけたり、うるさくすると怒られるのよ😅
名古屋には『御園座』という劇場があり、歌舞伎の上演もたまにあったようだけど、残念ながら一緒に観に行ったことはないのよね。
あんなに好きなら名古屋公演があった時くらい連れて行ってあげたらよかったと思う。
歌舞伎は高嶺の花
でも、歌舞伎のチケットは高いわよねぇ。
それを知っているから多分誘っても『行かない』っていう人なの。
私も歌舞伎に興味がないわけじゃないけど、歌舞伎はチケット代が高いし、普通の演劇とは違うので知識が必要だと思うと興味はあれど足が向かなかったのよね。
とにかく『歌舞伎はお金持ちの高尚な趣味』というイメージなので、庶民の私には高嶺の花のようなもの。
そんな私は、若い頃は演劇を観るのが好きだったので、今は無くなったけど『中日劇場』などによく足を運んだものだ。
忙しい生活の中、いつしか舞台を観に行くこともなくなっちゃって、今はもっぱら映画というわけ。
ミュージカルも好きで、森繁久彌の『屋根の上のヴァイオリン弾き』にはとても感動したなぁ。
劇団四季のミュージカルは市村正親、鹿賀丈史の『ジーザスクライストスーパースター』を観に行ったことがあるのよ😊
あの頃はパンフレットはなるべく買うようにしていたから、もしかしたらまだどこかに残っているかもしれない。
社会人となってからは逆に仕事中心になってしまい、めっきり観劇もしなくなってしまったわ。
感動だけでは足りない感情
と、話題が少しズレたけど、『国宝』はとてもいい映画だった。
時代は1964年から現代までを描いているので、私の年代には感覚的に『わかる』感じがして感情移入しやすい。
それから、この物語を『誰だろう』と週刊誌的に観るのはお勧めしないかなぁ、なんとなくだけど。
話の途中で何度も『世襲』と『部屋子』という言葉が出てくるので、ついつい『モデル』がいるのかも?って考えちゃうけど、そういった3面記事的にこの映画は観て欲しくないと思う。
『誰だろう』と想像したくなるほど、リアリティが凄いのだけど、フィクションではなく本物だなって思うのは、映画内随所に出てくる『芸』だと思う。
とにかく『感動した』というだけでは足りない感情が残るの。
おまけの話
さて、劇団四季で思い出したけど、名古屋駅にある劇団四季の劇場がなくなるらしい。
そのニュースを観てガッカリしていたら、なんと移転するそうで、名古屋から無くなるわけではないらしいことがわかって嬉しい😃
仕事を辞めたらまた観劇を趣味にするのもいいかもしれない。
けど、働かなくなったらそんな贅沢も気が引ける気もするなぁ、、、。
それでは皆さん、今日もお疲れ様でした。
明日もいい日でありがとうございます。
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