こだわりを捨てて
『気の赴くままに』が幸せ
今年も残りわずか。
9連休が待ってるけど、やることが多すぎて考えるだけでお疲れモード。
どうして年末年始って、こうも気忙しいのかなぁ😣
にほんブログ村お正月は何食べる?
年末年始に息子が彼女さんと来るというので『何を食べようか』と思案中。
我が家の大晦日は『すき焼き』を食べるのが恒例だ。
そして元旦には『おせち』を並べる。(もちろん手作りはしないけど😅)
そのおせち、この2年はネットでおせちを買っていたけど、今年は最後まであれこれカタログを見て悩んだけど、でも今年は買うのをやめた。
なぜなら、美味しいんだけど『完食』できないのよね、、、
勿体無いでしょ?
だからお正月っぽさより、美味しく完食できるのがいいかなぁって買うのはやめたわけ。
何かしらは作ると思うけど、昨日のブログではないけれど、私は今『調理休暇中』😅
(もちろん旦那さんも同じ)
なのでなるべく楽に、且つ美味しいものを食べたいので、やっぱりスーパーに買い出しに行こうと思うわ。
スーパーに行けばなんでも売っているから飢えることは無い😅
お歳暮って何の為?
ところで、おせちを買うのをやめる以前の話だけど、我が家はどこにも、そして、どこからも『お歳暮』のやり取りがない。
唯一、お義姉さんの家には訳あってお中元、お歳暮を贈っていたのだけど、去年からそれもやめることにした。
私の実家にもお中元、お歳暮を贈る習慣はない。
甥っ子姪っ子が幼い頃は『お年玉』はあげていたけど、兄弟同士は何もしない。
父親は田舎(九州)の親兄弟に毎年何かしら贈っていて、母がお金がないのにって怒っていたのを覚えている。
でも、お礼の電話に出て話す時の父の嬉しそうな様子も忘れられない。
電話するきっかけが欲しかったのかな?
なんか、私の親にとってのお歳暮って、上司とかに日頃のお礼をする為というよりも、日頃会えない親兄弟と『会話をするきっかけ』みたいなものだったのかもしれない。
(毎年帰省できなかったから。)
だから会社の上司や習い事の先生などへは何も贈っていなかったわね😅
(ていうか、そういう環境ではなかったし)
母方の実家にも送っていたようだけど、母方の方からは毎年つきたての餅やお菓子などが沢山届けれれていた記憶がある。
子どもの私にとってはこちらの方が毎年の楽しみだったな🙂
日本の慣例行事を楽しめない年頃?
あと、旦那さんのお義母さんが、私が嫁いだ時に私の両親に宣言したことがある。
それは『お中元、お歳暮はお互いやめましょう』と言うことだった。
私の時だけではない。
旦那さんの弟や姉の結婚相手の家に対してもそう言っていた。
一見合理的な考え方でドライなようだけど、お互い『無駄なお金と時間を使わない』という『思いやりの気持ち』だったのだと思う。
何が正解かはよくわからないけど、感謝の気持ちを表す方法は物のやり取りだけではないと思う。
なにしろ日本は『慣例的なこと』が多すぎて困るなって思うことが多い。
クリスマスだからケーキを、年末だからお歳暮を、新年だから年賀状を、そしてお正月にはおせちを食べるとか他にもいっぱいあるけど、全部やらなくても困らない気もする。
(日本の行事じゃないことにもはしゃいでいるし😅)
と、思うのも自分が随分歳をとって、昨日のブログの『調理寿命』と同じで、それらのこと全部に『寿命を感じている』のかもしれないわ😅
それでは皆さん、今日もお疲れ様でした。
明日もいい日でありますように。
おやすみなさい^^!
最後までお読みいただきありがとうございます。
応援クリックしていただけますと嬉しいです。