送る方も受け取る方も、
堅苦しく考えない方がいいんじゃない?
この季節、そろそろ年末年始の事を考えなくては、、、。
仕事も、お家も、周りもみ〜んな、ちょっと忙しそうです😳
あれ?でもまだ11月。
ちょっと考えるの早すぎますか〜?^^;
<勇気がいる年賀状辞めます宣言>
さて、先日の年賀状の話の時も書きましたが、私も(も?^^;)年賀状だけの付き合いの人が相当数います。
だからと言って、いきなり付き合いを切るのも気持ちのいい事ではない気がして、なかなかその人達だけ出すのを辞めるということができません。
だって、向こうからも毎回届いているのに、こちらから急に出さないって、何だかお互い気持ちがいいものではない気がします。
私だったら、届いていたものが急に届かなくなったら、やっぱり心が「サワサワ」しちゃいます^^;
でも、今年受け取った年賀状の中に、
「今年をもって年賀状を辞めます」のコメント付きのハガキがありました。
その方は、会社の上司だった方。
多分もう80歳近い方だと思います。
現役の、それも直属の上司だったのは2、3年の間だったと思うのですが、
退職された後もずっと年賀状を頂いていましたし、私も送っていました。
でも、ご自分から「来年から年賀状を辞めます」という決断をされ、その意志を1年前に宣言されるって、すごいなって思いました。
年賀状を印刷屋さんに頼むにしろ、何にしろ沢山作って送る。
その作業は高齢者の方には確かに大変な労力だろうと察します。
<どうして年賀状が広まったのかな?>
そもそもどうして、いつ頃から、この習慣が始まったの?
と、問われれば、確かに全く答えらない😱
本来は、遠方に住む親戚や、旧友、恩師などへのお礼や感謝、そして「今年もよろしく」という純粋な気持ちを伝える為だと思うけど、、、?
庶民に浸透したのはまだ明治になってからとか。
郵便制度が整って、礼儀を重んじる国民性ゆえ、すぐに庶民にも広まったのかもしれません。
今みたいに、電話はもちろん、今みたいにスマホなどの連絡ツールがなく、郵便だけが頼りだった時代には、
確かに、普段会えない人に近況報告や、相手の様子、日頃の感謝などの気持ちを葉書に書いて送ることは、お互いの安否を確認する便利な方法だったと思いますし、風情も感じます。
大体世の中って、多数の人がすることが「常識」ってことになりがち。
そして人間、『常識』っていう言葉に弱いです😐
日本には年賀状に似た習慣が、「お中元」「お歳暮」それと!「バレンタイン」^^ (他にもあるね〜^^;)
<方法は自由でいいのでは?>
ところで、年賀状を出す場合、葉書なのかデジタルなのか。(今はハガキだけじゃない!)出すとなったら、文面やデザインも悩みどころ。
急にデジタル社会になって、葉書は風前の灯火?😱(大げさ^^;)
確かに、別に葉書じゃなくても良いのでは?
なかなか会えない人や、お世話になった人たちに挨拶をするって言う習慣がなくなった訳ではなくて、その方法が変わってきただけのこと。
デジタルでも葉書でも、相手を思う気持ちを伝えることに変わりないと思います。
『常識』に囚われず、年に1度くらい、挨拶したっていいんじゃないかなぁ?
近況報告、相手の様子、感謝の気持ち、伝えたらいいと思いま〜す😊
受け取る方も大らかな気持ちでいて欲しい。
それと、無ければ無しでもオッケー! 辞めても誰にも咎められませんって^^;
私も毎年母からは「もう今年は年賀状送らないよ」って宣言されています。
でも、母へは送ります。
母が見てくれるだけで、いいのです。
母や親戚、古い友人には葉書で。
若い後輩たちにはライン。
ラインをしない先輩にはメール。
そして、何もなし。
今年の私の年賀の挨拶はいろいろなパターンが想定されますが、
臨機応変に対応したいと思っています😄
(まだ取りかかりませんが、、、^^;)
それでは皆さん、明日もいい日でありますように。
おやすみなさい。
それではまた^^!