定年退職のその日が近づくにつれ、言わんともし難い感情が込み上げてきて仕方ない時期がありました。
周りは未来しかない、まだ若い人達ばかりの中で、
自分一人が取り残されていく。
寂しさであり、諦めであり、虚しさであり、悟りであり、
そんなマイナスな気持ちが込み上げてくる。
そう、私は完全に「定年退職ブルー」になっていたのです。
何気ない同僚と会話の時も、
ふともうすぐここから自分がいなくなることを想像しては苦しくなる。
いなくなっても、誰も困らないし、悲しまない。
そんな思いに襲われる。
将来への不安や心配な気持ちでいっぱいだった自分。
でも、今は「嘱託おばさん」となり、定年退職ブルーから復活しました^^
「先輩を送る」
過去、何人もの先輩方達を送り出しました。
上司や先輩、同期や後輩達。
皆んなが皆んな円満退職の人ばかりではなかったです。
短い間しか縁のない人にでも、その時たまたま同じ職場にいたことで、
「お疲れ様でした」「お世話になりました」「また会いましょう」
そんな感謝の気持ちを込めて、歓送会が開かれるのが通例でした。
幹事さんは会費を集め、場所を探し、送別の品を用意して、進行から司会まで、
なかなか大変なお仕事です。
半年程前、私より4歳年上の女性の方が退職されました。
彼女は65歳を前にして突然の退職となってしまいました。
同じ会社ではなかったのですが、
長年同じ建屋の別会社でお仕事していた方です。
彼女の場合、
会社との定年時期についての話し合いに折り合いがつかず、
定年を待たずの退職となってしまいました。
決心がつく前までは、彼女もちょっとした「定年退職ブルー」だったように思います。
会社への不満もピークに達していました。
でも、やめると決めた途端、急にサバサバとして元気を取り戻しました。
引き継ぎも手際良く進み、彼女は元気に会社を辞めて行きました。
その様子を見て、私も暖かく送り出すことができました。
「また会いましょうね!」と約束をして。
一つだけ心残りなのは、彼女の送別会ができなかったことです。
会社関係でのつながりでしたが、その付き合いは30年近く。
やっぱり、せめて仲の良かった人で集まって、送別会をやりたかったなぁと思います。
コロナ禍でやはり送別会はできなかったのです。
花束と御選別、そして記念写真。
それだけでしたが、彼女は満面の笑みと共に、颯爽と会社を去って行きました。
今は悠々自適、スイミングや好きなお料理を楽しんでいる様子です。
悩んでいた時は、できればまだ仕事をしたいし、
もし辞めてもまた何か仕事見つけるって言っていたのですが、
今では「もう、仕事なんて絶対無理〜!」って言っています^^
「そして、自分の番」
それから約半年が過ぎ、とうとう私の番がやってきました。
それは最初にお話しした通り、
会社のお偉いさん方におもてなしをして頂いたのですが、
私の事務所での送別会はありませんでした。
逆に、それが自分には良かったです。
人の異動の多い事務所なので、古くからの人はごくわずかだし、
大袈裟にされても恥ずかしいだけです。
次の日からも会社に来るわけで、それまで通りの対応の方がありがたいのです。
でもでも、一つだけ言いたい!
頂いたのし袋の表書きが、「お餞別」だったのですね。
もらって嬉しくない訳ではないですが、何か引っかかる^^;
ちょっとスマホで検索してみちゃいました。
まぁ、間違いではないのですが、、、
できれば、「定年御祝い」の花束だけで良かったような?
むしろ何も無くてもいいくらいです。
だって、まだ会社に行くのですからね。
お餞別は本当に辞める時が良かったな、と。
贅沢な話ですが、、、m(_ _)m
「悲喜交々の定年退職者達」
世の中全てにおいて、
自分がその立場にならないと分かり得ないことばかりです。
私も長く女子事務員さんをやっていて、
大勢の定年退職者の方を見送りました。
今思えば、
穏やかに微笑みながら去っていった方も、
会社に文句を言いつつやめた方も、
社内に行き場がなくて仕方なく去った方、
意気揚々と第2の人生へと羽ばたいた方など、
皆んな人生の半分以上を会社と共に生きて来た訳ですから、
やっぱり、「定年退職ブルー」に多かれ少なかれなりますよ。
何かしら、些細なことでもいいので、
自分の心に折り合いをつけなければなぁと思い、
私の場合、こうしてブログを書きはじめた、のかな?^^;
「今日の学び」
今日は印刷指示のショートカットです。
ズバリ!
「ctrl」+「P」です。
「P」はプリントのPなんですね。
ファイルから印刷を選ぶなんていう手間が省けますよ。
それではまた^^!