今日は2週間ぶりに母のところへ行きました。
当たり前のように、いつものように近くの喫茶店へと出かけました。
コロナ禍になってからは施設内に入れないので面会は本当に不便です。
まだ母は自立型の部屋に居住しているので、若干自由もあるのでありがたいですが。
気候が良い季節なら、表のベンチでのおしゃべりも楽しいですが、流石に12月、天気が良くても寒いです。
施設内には入れないし、車の中では落ち着いて話もできないしで、喫茶店に行くようになりました。
母が注文するのは、いつも『ホットカフェオレ』です。
それに砂糖のスティックを2本も入れるので、本当は止めたいところ。
最初は1本入れて一口飲み、やっぱりもう1本と言って入れています。
健康のことを思うと糖分は控えて欲しいのだけれど、、、。
見ると、今耳鼻科からお試しで借りているはずの補聴器もつけていません。
「補聴器は?」と聞くと、
「持ってるよ。失くすといけないからね。」
「慣れるためにも普段からつけておかないと」
「聞こえなくてもいい音も聞こえるから嫌なんだわ」
「でも、調整してもらえるはずだからね。先生にちゃんと言わなきゃね。」
どうやら部屋で1人テレビを見るときは補聴器をつけて見ているようです。
その時以外は外しています^^;
新聞をめくる音や、ビニール袋のガサガサする音が気になるようです。
それをちゃんと先生に伝えたらいいと思うのですが、、、
テレビの音量も補聴器ありで32〜40。無しだと20。
と言うことは、確かに聞こえすぎなのかも。
それをちゃんと先生に言わなくちゃ、、、って思ったのですが。
私が付き添えないのがいけないのですよね、、、😥
先週、両耳の補聴器でしたが、片方だけになっていました。
でも、両耳だろうと片方だけだろうと、もう着けること自体が嫌になっているようです。
最初の頃の「せっかくだから着けてみよう」と言う前向きさがなくなっていました。
「今はまだなんとか聞こえているから、なくてもいい」と言います。
で、自分はまだ不自由をしていないと言うのです。
それって、自分よりもっと耳の遠い人と比べて言っているんです。
いやいや、聞こえてないから^^;
会話がキャッチボールになってないんだよ。
こっちは頑張って大きい声出しているんだよ。
って、少しはっきりめ言うのですが、母の気持ちは後ろ向きです。
苦笑いを浮かべるだけで、どうやら私の話は母には刺さってないみたい😥
母は意外にせっかちで頑固なところがあります。
やる気になると何事もすぐ行動する人ですが、ダメとなると引くのも早い。
どう言ったら前向きになってくれるのか、、、
なかなか手強い相手です^^;
『他人を変えることはできない。変えられるのは自分自身だけ。』
何かで誰かが言っていたような、、、。
他人もそうだけど、親のことも変えることはなかなかどうして、難しい😣
確かに、自分が正しいと思う気持ちが、他人の気持ちも変えようという行動に出てしまいます。
これって、どんな人間関係にもありがちですね。
もちろん親子の関係でもです。
親子だと、子供が小さい頃はどうしても親の影響が強くなります。
そうはわかっていても、健康についてはついこちらの希望が思わず口をついて出てしまいます。
気づいてほしい時ってどう言ったら伝わるのでしょうか。
思えば私、母には怒られた記憶がありません。
父が厳しかったせいもあるのか、母は子供達に「〜しなさい。」って言ったことがありません。
なのに今、私は母に「ちゃんと補聴器つけないと」って叱っています。
偉そうですね😥
今日は喫茶店で砂糖のことはもう諦めて何も言いませんでしたが、補聴器のことは随分あれこれ注意しました。
最後には「お水もこまめに飲まなきゃね。」と小言もちくり。
言いたくないけど、言ってしまう、口やかましい娘でありました。
楽しいひと時を過ごす為には、言いにくいことを心にしまっておいた方がいいのかもしれません。
でも、大事に思うからこそ、わかってもらいたい。
そんな気持ちです。
例えば、
耳の聞こえも、本人は不自由していないと言っても、少しでも良くなれば会話もスムーズになって楽しいだろうし、それは認知症予防になります。
散歩に行くのはいいことだけど、1人で行くのは控えてほしい。(1人がいいと母は言うのです。)
そういった小さなことだけど、直して欲しいことが幾つかあるのです。
娘からしたら、『もう歳だから好きにしたらいい』と言うわけにはいかないのです。
それでは皆さん、今日もありがとうございました。
明日もいい日でありますように。
おやすみなさい^^!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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