側からは鬼嫁と思われていたかもしれない?
昨日のブログ(【母の思いを無駄にして、ちょっと悲しい】)でふと思い出したことがあります。
それは一時同居していた義母のことです。
12年余り同居していたのですが、その間義母が家事全般を担ってくれていました。
同居を開始したのは、義母が62、3歳だったと思うので、ちょうど今の私くらいです。
寡婦年金しか収入がなく、貯金もないお義母さんでしたが、子供や孫の為に一所懸命にご飯を作ったり、お小遣いをあげたりしていたことを思い出します。
でも、その資金源は旦那さんと私😳
当時は心の片隅に『それって、なんかおかしい』って思う心の狭い私がいました😅
にほんブログ村同居の条件があった
同居はしても私は『仕事を続ける』ことを望みました。
旦那さんも賛成してくれていたのですが、お義母さんはおそらく『仕方なく承諾』だったと思います。
当時は結婚したら女は仕事を辞めて家庭に入るのが当たり前の時代。
だけどお義母さんは私の望みを承諾してくれて、さらには『家事』をやってくれると言ってくれました。
私はせっかく入った今の会社に入ってまだ数年だったし、お義母さんもやる事があった方が自分の為。
お互いの思惑が合致した感じだとは思うのですが、気になるのは世間の目だったと思います。
つまり、男は外、女は内(家)😐
生活費のこと
さて、同居が始まったのは私が24歳、旦那さん33歳の時でした。
お義母さんは子育て時代の収入源だった『小料理屋』を同居とともにたたみました。
『小料理屋』というと儲かっていたイメージですが、小さなお店を1人で切りもり。
子育てしながらなので貯蓄するまでの余裕はなかったと思います。
子供達が巣立ってからは、まだ未婚だった旦那さんの弟としばらく2人暮らし。
その頃はもうお店もたたんでいたのかしら?
よくわかりません😅
で、同居した当時の義母の収入は『寡婦年金』だけでした。
貯金はほぼ無し。
それで同居するにあたり、家族3人の生活費を旦那さんと私の収入からお義母さんにいくらか預けることにしました。
『預けた』というより『あげた』というのが正しいです。
足りなければ追加で渡すし、余ったらお義母さんの『お小遣い』にしてもいい、という大雑把さ。(足りなくなることは無かったですが)
いくらお金を渡しているとはいえ、買い物に行き、生活費をやりくりし、ご飯を作ったりお洗濯をしたりを率先してやってくれたお義母さんには今も感謝しかありません。
心が狭い自分
さて、やっと今日のタイトル『心が狭い自分』の話です。
側から見たら鬼嫁の私ですが、私は私で我慢していたことも多々ありました。
同居するうちに旦那さんのお姉さんや弟にも子供ができたりして、盆正月やお祭りとなると一族が我が家に大集合になりました。
お義母さんにとっては、これが一番の楽しみだったので仕方ないのですが、時に私も仕事を休んで手伝いをしないといけない時もあり、その時はちょっと不満でした。
子供がいないとはいえ、私は仕事がある。
弟のお嫁さんやお義姉さん達には子供はいるけど専業主婦。
私は手伝うのに、彼女たちはお客さん然としているのです。
そりゃあ彼らにとっては『実家』だから仕方ないのかもしれないけど、、、😢
おまけに人が集まるということは、イコール『お金がかかる』んです😣
お義母さんは自分で出すと言っても、それではもっと私は『鬼嫁』になる。
お義母さんにあげたお金だから好きに使ってもらって構わないって、自分で納得して渡しているのに、家でワイワイ飲み食いだけしている兄弟たちを見るとちょっとムカつく事がありました。
ただね、宴が終わっていつもの生活に戻ると、お義母さんがいつも
「ありがとうね、○○ちゃんのおかげで皆んなにいろいろやってあげられる」
ってお礼を言われると、『心の狭い自分が恥ずかしい』気持ちになったものです。
それにしても、当時のお義母さんと同じ年頃になったことに感無量になりました。
おまけの話
余談ですが、何か困ったことがあると旦那さんが間に入って話を進めてくれたので、私がお義母さんと直接話し合ったことはありません。
あの怖いお義母さんに立ち向かってくれた旦那さん、すごいと思います。
おかげで直接お母さんとバトルしたのは1回だけと記憶してます(あるんかい!って感じですが😅)
何しろ、お義母さんは、気が強いというか、肝っ玉が座っているというか、すごい女性でした。
いろいろ書きましたが、尊敬している女性です😅(ほんと)
それでは皆さん、今日もお疲れ様でした。
明日もいい日でありますように。
おやすみなさい^^!
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