いつの時代も働くお母さんは
大変なのです。
私が子供だった(昭和40年代から50年代)の頃は、
母のようにフルタイムで働く母親は少なかったです。
そんな中で楽しい思い出を作ってくれた子ども会。
どの時代の親達は皆、
毎日忙しい“仕事“と“家庭“と“ご近所付き合い”の中、
自分の子供もよその子供も、平等に接し、成長を見守っているんだと信じたいです^^
<昔の子ども会>
それにしても、
私の子ども時代の子ども会は楽しかった〜😃
そんな記憶があります。
クリスマス会だったか記憶が定かじゃないですが、
行事によっては、上級生のお兄さん、お姉さんたちが、司会進行役をしてくれて、
大きくなったら、自分も同じようにやるんだなぁって、憧れの気持ちを抱いていました。
子ども会って、「子どもの自主性と自立を育むため」なんですよね、本来は。
そういう意味では、当時の子ども会はちゃんとしていた気がします。
もう一つ思うのは、
当時はある意味、みんな平等で公平だったのかな?と思うのです。
田舎だったから、近所に住む小学生達は皆、公立の小学校に通い、
お金持ちの人たちとは住む世界が違いました^^;
学校が終わると、
みんなランドセルを家に置いて、また小学校へ戻って遊んでいました。
もしくは、近所の公園で、
上級生も下級生も一緒に遊んでいました。
そんな日常だったので、子ども会の行事の時も、
ごく自然と上級生が下級生の世話をする、そんないい感じの上下関係が出来上がっていたのですね。
でもちょっとだけ、寂しかった記憶もあります。
近所で遊んでいて夕方になると、
子ども達の母親が次々と迎えに来るのですが、
私の母は帰りが遅かったので、いつも最後の一人になってしまうのです。
それで仕方なく家に帰るのですが、その時だけは寂しいなって感じていました😢
<母が専業主婦だったらいいのにな>
しかしながら、きっと親はさぞかし大変だったろうなぁと、自分が親になって、同じような経験をして初めて実感します。
私の母は、フルタイムで働いていました。
でも当時は今と違い、専業主婦の家庭の方が多かったです。
共働きをしなくても、子育てができる家庭は、憧れですね。
いわゆる憧れの専業主婦です^^;
子供を保育園に入れている家は、母親が働かなければ生活ができない家庭。
それに比べて、子供を幼稚園に入れている家は、優雅な専業主婦の家庭。
そこには歴然とした経済格差がありました。
私はまだ子どもだったから、
みんな公平で平等と感じていましたが、
実は貧富の差が結構あって、
貧富の差が、子ども会やその上の婦人会、さらにその上の町内会での力関係と比例していたのかもと、大人になって気がつきました。
だって、昔の町内会長って、その町の代々続く地主さんだったりしませんか?
そういう力関係の中において、
働くお母さんが子ども会の役員を断ると、村八分になってしまう。
それは子どもがいじめにあう原因になってしまう。
そんな悪意はないけど、無意識の精神的圧力が少なからずあったのかな?って勘繰っています。
そしてさらにこの無意識の精神的圧力は、今の時代もあるのでは?と思うのです。
<新しいかたちの子ども会を❗️>
でも、子ども会が衰退していくのは、本当は残念なことだと思っています。
私自身、役員時代は辛かったですが、それでも
「子ども達に、楽しい思い出を作ってあげたい。」
という気持ちは確かにあり、他のお母さん達も同じ気持ちでした。
夏祭りで盆踊りを踊り、太鼓を叩き、屋台でお菓子を買ったり、
キャンプに行って、魚を掴み取りをしたり、
秋には法被を着て、御神輿を担ぎ、
ドッジボール大会やソフトボール大会で汗を流し、
クリスマスパーティーでプレゼント交換をして、
そして、餅つき大会で、餅つき体験。
歓送迎会で、みんなの前で挨拶をするドキドキを味わって、
新一年生を迎えた後は、下の子達に見送られ、中学生となるのです。
楽しいことばかりですよね❣️
親たちが忙しすぎると、
自分の子供はおろか、近所の子ども達へも愛情を注ぐゆとりがなくなるのですね。
そして、近所の人に、村八分にされたくない、
子どもがいじめられないように、
そんな気持ちだけで役員を務める。
そこから、“いいこと“はやっぱり生まれないですよね。
前にも書きましたが、
私は基本的には、町内会やその中に属する子ども会は、無いよりは有った方が良い派です。
ですが、
ボランティアで活動するには、限界があります。
現代に合った、新しい子ども会が、
そろそろできてもいいのかな?って思います。
思っているうち、こんな歳になってしまいました^^;
それではまた^^!