まったり人生
嘱託さんの学び日記
老いを考える

【忘却と終活】

忘れられる寂しさと、
忘れてしまう不安と哀しみ

今日は旦那さんは別用の為、珍しく私1人で母のところへ出かけました。

2人でいつもの喫茶店へ行き、いつものホットカフェオレを飲みながら、今日の私は言い知れぬ寂しさに襲われていました

というのは、とうとう母は、私の誕生日を忘れてしまったようだからです😭

実は今月は私の誕生月です。

いつもなら、9月になると私の誕生日の話になり、誕生日祝いにお小遣いをくれるのです^^;

いい歳をして、高齢の母からお小遣いなんてとは思うものの、それは一つの行事としてもらっていました。

その代わり、母の日や、敬老の日、そして12月の母の誕生日には私からお祝いの気持ちで幾らかのご祝儀をあげています。

ところが、今日一足早く『敬老の日』のお祝いを渡しても、母は「あなただけだね、いつもありがとう」とは言うものの、私の誕生日の話は全然出てきません💦

去年、今年と2年にわたり、母は孫である私の息子にも誕生日祝いがありませんでした

毎年欠かさずお祝いをしてくれていただけに、悲しいです。

そういえば、毎夏届けてくれた『葡萄』も今年は届かなかったし😥
お買い物もままならないし、仕方ないとは思うけど、少し寂しい。

ここ数年、母の口ぐせになっているのが、「もう最近物忘れがひどくて困っちゃう」です。
「さっき食べたお昼ご飯もなんだったっけ?」と言います。
笑いながら明るく言うし、それでも、会話はなんとなくできているので、そんなに重症とは思っていない私。

先日は、病院にだって1人で行けた。
薬も忘れずちゃんと飲めている。
心配ではあるけれど、お洗濯から入浴までほとんどのことを自分できています。
だから多分、重症と思いたくないだと自己分析。

でも、実際の母は、自分のことだけで精一杯なんだと思うのです。

少しずつ、脳が勝手に記憶の『断捨離』をしているのかもしれません。

母は時々、自分の母の(つまり私の祖母)話をします。

長年遠く離れて住んでいたせいもあり、亡くなる頃にはすでに痴呆が進んでいた祖母は、娘である母のことを完全に忘れてしまったそうです。
最後に会った時には母を見て、「どちら様ですか?」と言われたそうで、仕方ないけどさすがに寂しかった、と言っていました。

本当だなって思います。
「誕生日おめでとう」を言ってもらえなくても、まだ私のことは認識しています。
そんな母から「どちら様ですか?」なんて本気で言われたら、悲しすぎる😭

でもこの言葉、母は本当に言われたんですよね😥

そんな悲しい話は母だけじゃなく、世の中のどこにだってあることも、わかってはいるけれど、、、

母的には自分が味わった寂しさを、私達には味合わせたくない。
そんな思いがあるんじゃないかなって思います。

だから「忘れるって嫌なもんだね」と、今日も母は言っていました。
大切なことを忘れることに不安なんだなって思うのです。
祖母も父も『忘却』してしまいましたから、、、

今年の12月、母は『米寿』を迎えます。

過去には何度も入院を経験していますし、医者にも『次は覚悟してください』と言われた大病もしています。
それだけに、自身もここまで長生きできるとは想像していなかったらしいです。

けれどありがたいことに、母は今、親切な施設の方々、優しい隣人達と穏やかに暮らしています。

そして、毎日の出来事を忘れてしまわないようにと、一言日記をつけているそうです。

本を読み、TVを観て、時々大好きだった美空ひばりを聞いて過ごす。
そして、すぐに内容を忘れてはまた新しい本を読み、TVを観る😅

ある意味、毎日が新鮮かな? なんてね。

母が幸せなら、それでいい。

それでは皆さん、今日もありがとうございました。
明日もいい日でありますように。

おやすみなさい^^!

台風、気をつけましょう〜!