まったり人生
嘱託さんの学び日記
日常の四方山話

【千羽鶴・善意は時に邪魔になる。】

『善意』と『祈り』で世界に平和を!

今、ネット上で『折り鶴論争』が勃発しているそうです😳

ことの発端は多分こちら(👇)

千羽鶴とか『無駄な行為をして、良い事をした気分になるのは恥ずかしいことである。』

というのをそろそろ理解して貰いたいと思っているのは、おいらだけですかね?

ひろゆき Twitterより 

千羽鶴って、昭和時代に育った私の年代の人は、みんなでせっせと折り鶴を作った記憶は一度や二度ではないはずです。

身近に病気や災害に見舞われた人がいたら、『みんなで作った折り鶴』を贈って元気づけよう!という人が必ずいました。

私も小学生の頃、担任の先生が生徒達に持ちかけて、クラスみんなで千羽鶴を作ったことがありました。

それで、家に帰ってせっせと鶴を折る。
放課の時間もせっせと折る。
家族も巻き込んでせっせと折る。

体で覚えただけあって、今でも『鶴』だけは本を見なくても折ることができます

病気で苦しむ近しい人への『祈り』の気持ち。
全然知らないけれど、遠くで苦しんでいる人への『善意』の気持ち。

他者を思いやる気持ちは、もちろん大事です。

でも、、、もし自分が『千羽鶴』をもらう立場だったら?
病気で入院しているとしたら、確かに、友達からの応援メッセージだと思い嬉しいものかもしれないけれど、、、

その後、それどうしたらいい?

感謝の気持ちを忘れないように、部屋に飾っておけばいい?

私も、捨てるに捨てられないです😥 (断捨離苦手だし)

だからきっと、ずっと大事に飾っておくか、しまい込んでしまうかな、と思います。

だって、折ってくれた人の気持ちを思うとね、捨てたら申し訳ないような、バチがあたってしますような気持ちです。

災害に見舞われた人にはどうでしょう。

着の身着のまま逃げたところに、『千羽鶴』、、、。

これまた、『善意』の物だけに捨てるに捨てられませんが、これではお腹も満たされないし、寒さもしのげません。

やっぱり、何かもっと別の援助の仕方があるように思います。

ましてや今回問題になっているのは、『ウクライナへ千羽鶴を贈る運動』らしく、、、

これはさすがに一旦据え置いた方がいいように思います。

今、必要な物じゃないってことは明白ですもんね。

それに、千羽鶴に込められた意味を、果たして戦禍のウクライナの方達に理解してもらえるとは到底思えません。

「せっかく千羽鶴を作った人が可哀想。」
そう言った声も聞かれます。

でも、元々は善意からの行動。見返りを求めていないはず。

見返りを求めていないのなら、作った人の気持ちまで汲んであげる必要はないのでは?と思うのは、私が薄情なのでしょうか。

あと、「もらって嬉しい人もいる。」という人もいるようです。
それもそうですが、多数の人は千羽鶴をもらっても何の意味を感じ取ることはできないと思います。

だって、日本独特の文化なのだから。

もちろん、人間の『善意』を否定する物ではありません。

むしろ、『善意や祈りが人類を救う』と願っているくらいです。

ということで、私は『ひろゆき』さんに1票です❗️

それでは皆さん、今日もありがとうございました。
明日もいい日でありますように。

そして、世界平和を祈ります。

おやすみなさい。

<おまけの話>

千羽鶴、、、捨てたいけれど、捨てられない場合。

人の祈りがこもっていると思うと、そう簡単にごみにするわけにもいかない千羽鶴は、神社で『お焚き上げ』にすると、気持ちが楽になります。

結局、『処分』する訳ですが、気持ちの問題。

お礼の気持ちを込めて『お焚き上げ』をお勧めします。

でも、他にも葬儀社、仏具店、遺品整理業者、さらにはお焚き上げ専門業書もあるそうで、さすが日本です。

じゃあ、趣味で作った折り紙は、、、自分が平気なら、お住まいの自治体に応じたゴミ処分でもよろしいかと^^;

気にする人は、やっぱりおもちゃ供養とかに出すそうですよ。

要するに、人間って『気持ち』が大事なんですね🙂