いつのまにか60歳を超えてしまいました。
55歳になると、いったん定年予備軍(?)的な扱いになって、給料が少し減り、いよいよ60歳となって『定年』しました。(給料は激減😭)
昔はそこで会社人生も終わりと思っていたけど、『継続雇用』なるものができ、私はそれに乗っかってまだ仕事をしています。
就職した頃は、すぐに辞めるつもりだったのに、、、^^;
その頃はまだ自分は『何者にもなれる』と、思っていたんでしょうね。
今思うと、恥ずかしい、、、
何も努力をしない人が『何者』にもなれるはずがありません😐
ところで、そもそも『老後』っていつからをいうのでしょう。
若い頃から『なりたいもの』『やりたいこと』が漠然としていて、決まっていませんでした。
そういうものは、『いずれ見つかるもの』と呑気に考えていたのだと思います。
そんなふうだから、何も目的もなく今日まで生きているわけです😥
そう簡単に見つかるものでもなく、何をするにも『会社』ありき。
でも、それもこれも自分の選択だったいうことも、今はわかっています。
『定年』が近づくにつれ、会社をリタイアした後の自分の姿を想像すると、『焦り』を感じていました。
「あれ?私、何も趣味もない。何もやりたい事もない。あえて行きたいところもない。、、、私、すぐボケちゃうんじゃない?」
そう思うと、やっぱり何か仕事を探して少しでも社会と接点を持った方がいいような気もしないでもない。
仕事仲間と飲み会をした時のメンバーの中に、50歳で退職、今は不労所得で生活している、まだ50歳前半の男性がいます。
彼は2人の子供も独り立ちし、奥さんも今は働いていないそう。
毎日散歩、図書館、ゲーム、時々旅行。
生きていく上で、心配事の一つの『老後の資金』に困っていないし、この先もずっと仕事をする気はないらしい。
もちろん、悩みがないわけではないけど、基本は充実した毎日のようです。
これが理想の『老後』なのかもしれない、、、相当若いけど^^;
でも、本人はもちろん『老後』っていう自覚は皆無だし、、、流石に50代では違うかな、やっぱり😐
何を持って『老後』というのかわからないけど、『年齢』と『仕事』基準にするならば、
『生涯現役』と言って働いている高齢者は、まだ『老後』ではないってことね^^;
『何もない老後』を味わいたくなければ、やっぱり『仕事』をするべきなのかも。
そんな『働く高齢者の仕事』もさまざまです。
でも、求人広告などを見ると、今、密かに騒がれている『底辺の仕事』も多い。
実際、私のマンションや職場の清掃員は『高齢者』の方ですし、公共施設や商業施設などの清掃員にも高齢者の方は多いように見受けられます。
底辺の仕事をしている高齢者の方々にも、いろんな理由があるとは思います。
私も今仕事を辞めたら、何も資格も持たない自分に出来ることは『底辺の仕事』しかないと思います。
働くことで得られる『生涯現役』の気持ちと、実際に得られる『報酬』のギャップに、心は折れそうになる気がします。
そう思うと、若い時の生き方が何十年か後の自分を作っているんだなと思うのです。
もう遅いけど😥
先日辞めた職場のトイレを清掃してくれていた高齢女性が先日契約が切れました。
彼女にたまに「お疲れ様です」と声をかけると、
「私は掃除が好きだから」と答えていました。
とても頭が下がります。
年齢は優に70歳を超えていました。
私にできるだろうか、、、きっとできません。
そして、「底辺の仕事」をしてくれる高齢者を馬鹿にすることも、やっぱりできません。
それより何より、自分には「底辺の仕事」と言われる職種のどれひとつもできるスキルがない事実😱
それで、気がつきました。
私は継続雇用として、今できる仕事があること、そして『感謝』することを忘れかけていることに。
それも踏まえて、来期の継続をどうするか、、、
またなんとなく、継続するのか、いっそやめて『何か』を探すのか、年内にはまた一つの結論を出さなくてはです。
来週、ラインで愚痴る同期のOさんと会う約束もしました。
Oさんも来期どうするかを悩んでいるようです。
職場の中では「底辺」にいる私とOさん。
一体どうしたものか、、、これも、贅沢な悩みなのですね。
それでは皆さん、今日もありがとうございました。
明日もいい日でありますように。
おやすみなさい^^!