『ここにいれば安心』という安心感
昨日の日曜日は私は母のところに行き、いつもの喫茶店へ行ってきました。
母に息子たちが飼っている猫の動画を見せたり、施設の話を聞いたりしました。
施設では行事食が前日の2日に出たと話していました。
『握り寿司だった』と言ってちょっと嬉しそうでした。
足腰が弱ってからは外出も不自由になってしまい、やっぱり季節の行事があることは、生活にメリハリがつくんだなって、ありがたく思います。
施設は安心だけど、刺激がない
母の住む介護老人福祉施設は特養、ショート、デイサービス、グループホーム、そしてケアハウスを構えいます。
その中のケアハウスに入居しており、基本自分のことは自分でできる、が入居条件です。
母はまだ60代で入居しました。
それは、父の介護のためでした。
入居時は一番若かった母も、今は上から数えたほうが早いです。
でも、後から入った人がいなくなる、、、
そんなこともあって、ちょっと複雑な気持ちもあるようです。
かといって、今は自分のことだけで精一杯な様子。
いろんなことに気が回らなくなっている母です。
そして、時々『退屈している』とも言います。
確かに、施設にいれば安心だけど、刺激がなさすぎるのかもしれないです。
失われた好奇心
この数年は、
「『何かしよう!』という、やる気が全然わかない」と言う母です。
コロナで外出禁止となった頃から急速に衰えた足腰。
それに伴い、やる気、気力、そして記憶力も減速。
数年前までは笑って聞き流せた物忘れですが、最近は重症です。
それこそ、昨日もさっき食べたお昼ご飯のメニューが思い出せない。
でも、美味しかったという前日食べたお寿司のことは覚えているので、やっぱり『感動』することが不足しているのかも、です。
以前は狭いながらもキッチンでおかずを作ったり、編み物や縫い物、陶芸や絵手紙、塗り絵もやったりして、自分から『何かしよう』としていたのです。
ボケない人は皆、『好奇心』が旺盛らしいです。
そういえば、1歳年上の黒柳徹子さんは『好奇心の塊』のような方ですもんね。
もともとはどちらかというと、『好奇心』旺盛な母だったはずなのに、それは歩くのが不自由になってしまったからかも。
つまり、コロナが悪い、ってことです😓
母に昔のような『好奇心』があれば、物忘れのスピードは遅らせられると思うのですが、それを強要するのも可哀想なのかも知れない、って思うようになりました。
以前みたいにあれこれ意見(励ましのつもりだったけど)するのもちょっと気が引けます。
今は、母には『物忘れが激しい自分を責めないで欲しい』とだけ願っています。
楽しみは何だろう
そんな現在の母の楽しみは何だろうと、ふと思います。
本を読むのが今の一番の趣味で、同じ階の部屋の3人で本を買いあって回し読みをしているらしいです。
コロナ以前は施設で夏祭りや秋祭りなどがあると、お手伝いをしたりしていましたが、コロナで中止が相次ぎ、やっと明けたとしてもケアハウスの人に手伝いの声がかからなくなったそうです。
たまのこととはいえ、そういった行事のお手伝いは刺激があって良かったと思うのですが、、、。
で、昨日母に会いに行った時は、珍しく前日に行事食が出たことを嬉しそうに話していました。
「今日は何食べたか忘れたけど、昨日は握り寿司が出た」
「なんでかな。お雛祭りだからかもね。」
「そうだね。お雛さんでかね。1日早いけど」
と、理由はともかく、お寿司に満足していました^^;
それと言うのも、母は日頃から施設に満足しているのですが、一つだけ不満があるとしたら、それは食事だけなのです。
施設では桃の節句、端午の節句、他にも夏祭り、秋祭りやクリスマスなどには行事食がでるらしく、なんだか子供みたいですが、やっぱり歳を重ねると、だんだんと子供に返るのでしょうか。
あれこれ思うに、母が今望んでいるのは『安心と安全』なのかも知れないと思ったりします。
もっと行動していた頃は、それなりに近所の人との付き合いに困ったり、施設への不満を言ったりしていましたが、最近はそういうことも少なくなりましたし。
安心して、穏やかに暮らせていることが、母にとっても、私たち子どもにとってもいいことなのかもしれないです。
お陰様で母の物忘れは認知症ではなく、年齢によるもの。
退屈しない程度に、何か自分から『楽しい』と思うことを見つけてくれるといいなって思います。
それでは皆さん、今日もお疲れ様でした。
明日もいい日でありますように。
おやすみなさい^^!
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