母と『窓際のトットちゃん』
今日は本当に久しぶりに母のところへ行ってきました。
なんせ4月半ばから立て続けに夫婦でコロナに感染。
自信を持ってウイルスが完全に体から無くなるのを待っていたら今日になりました😣
で、今日は母からずっと借りっぱなしなっていた本をようやく返すことができました。
それは『続・窓際のトットちゃん』です。作者は言わずもがな『黒柳徹子』さんです🙂
この本、黒柳さんご自身の経験(記憶)を通じて、私を含め、『戦争知らない戦後生まれの全ての人に深いメッセージか込められている』気がしました。
にほんブログ村母はメモ魔
私はずっと会いに行けなかったけど、このゴールデンウィークに、兄夫婦が母を食事に誘ってくれたそうで、会った早々嬉しそうにその報告をしてくれました。
なのに、まだ1週間も経っていないのに、どこに行って、何を食べたかを思い出せない母でした^^;
それが自分でも可笑しいのか、笑いながら
「何食べたのかなぁ?どこのお店かなぁ?食べに行ったのは覚えてるんだけどねぇ」
と話していました。
それでおもむろに、カバンから持ち歩いてる手帳取り出して、
「あ、此処に行ったんだわ」
と、メモを見せてくれました。
そこには、『いつ、誰と、どこへ、何を』かがちゃんとメモされていて、どっちがお金を払ったかも書いてありました。 (ちなみに、支払いは兄でした^^;)
「書いておかないと忘れちゃうから」
という母は『メモ魔』です😅
昔から買ったものには、裏にメモする習性があるのです。
母はそれ以外にも家計簿をつけていて、そこにも一言メモが書いてあります。
そして、例えば通院の日など、日常生活で忘れてはいけないことは、部屋のカレンダーに大きく書います。
我が母ながら、すごいな〜って思うのです。
母は黒柳徹子さんの1歳年下の同年代
で、母にずっと借りていた本、『続・窓際のトットちゃん』をやっと返しました。
母、やっぱり貸していたことを忘れていました^^;
「面白かったよ」
と言うと、
「どんなだったか忘れちゃった」
と言うので、
「黒柳徹子さんの疎開していた時代のこと書いてあったよ。お母さんと同じ年代なんだよね。」
「本当? あの人、全然変わらなくてすごいよね。」
と言いました。
確かに黒柳さん、記憶力は全然衰えていませんね^^;
でも、私思うのです。
『あの時代を生き抜いた人達がいてこその、今の平和な日本なんだ』って。
だから、『お母さんもすごい人なんだよ』って、心の中で思ったのでした😊
戦争を知らない子どもたち
母より1歳年上の黒柳徹子さん(1933年生まれ)も母と同様、戦争中は田舎に疎開をしています。
小学高学年から中学生くらいなので、記憶に残る年齢です。
戦争中や戦後の経験はご自身の生き方にも大きい影響を与えたと察します。
ただ、戦争があってもなくても、きっとご自身の思う道を歩んでいただろうって思います。
それにしても、先日観た『ゴジラ−1.0』も終戦間際から数年の間の日本が舞台でしたが、どちらの話も日本の復興の速さに驚きです。
終戦が1945年9月。
その15年後に私は生まれましたが、戦争がほんの数年前まであったという気がしませんでした。
ただ一つ覚えていることがあります。
幼いころ(多分、小学低学年)、田舎(福岡)に帰った時のことです。
どこの駅だったのかは分かりませんが、改札に軍服姿に松葉杖の男性が立っていました。
その人の足は片方だけしかありませんでした。
見てはいけない気がして、すぐ目を逸らしましたが、怖かったです。
でも私は『戦争を知らない子供たち』の中の1人です。
その私が、その時『戦争が本当にあったんだ』と、幼いながらに認識した瞬間でした。
思うに、黒柳徹子さんは自分の記憶を綴ることで、『戦争反対』を伝えているような気がしました。
今、日本は団塊世代がどんどんこの世を去って行って、いよいよ私たちみたいな、いや、もっともっと若い『戦争を知らない若者達』が日本を担っていきます。
でもやっぱり、『戦争を経験した年代の方々のおかけで今の平和な日本がある』って、つくづく思ったのでした。
それでは皆さん、今日もお疲れ様でした。
明日もいい日でありますように。
おやすみなさい^^!
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おまけの話
『戦争を知らない子供たち』
このフレーズがわかる人は60代以上の方達と認識します😅
1970年に『ジローズ』が発表したフォークソングの題名です。
私でもギリギリ知っていますが、50代以下にはピンとこないでしょう。
ましてや平成生まれにとっては意味不明でしょうね。
私も、実は子供ながらに意味不明でした。
正直、今もよくわかりません😅
その歌詞に興味がある方はネットでどうぞ^^;